ピックアップ
pickup
母還暦【筋肉王企画 Vol.307】
皆さんこんばんは、
サガテレビ3階西側最強のバルク福田です。
今日、僕の母親が還暦を迎えました。
巷で「僕と顔が同じ」と噂のあの母親です。
ということで今日は、僕の中で最も思い出深い母との話を書いていきます。
あれは僕が2年間の浪人生活を終わったときのことです。
当時、僕は都の西北・早稲田大学を志していました。
ただ、高校時代の成績は下から2番目の238位。
「それでも早稲田に行きたい」という夢に、母親を中心に家族は物凄く協力をしてくれました。
二年間の浪人費用から、早朝深夜の駅までの送り迎え、そしてイライラしてる僕の悪い態度への対応。
僕が親だったらいつ見放しても許されることを、見放さずに支えてくれました。
その結果、僕は早稲田大学に落ちました。
家族は「早稲田は落ちたけど、ほぼ最下位から〇〇大学には受かったから上出来じゃない!」と褒めてくれました。
ただ、そのときの僕の態度が良くなかった。
あたかも「第一志望の大学に受かった男」のような態度で、遊びまくっていました。
その態度に母親は怒ったのか、
実はもう一学部、早稲田の合格発表が残っていたにも関わらず、
「はい、早く東京行ってアパート決めに行くよ」と14時に電話をしてきました。
『わかった、いつ?』と聞くと、
「今日の17時の飛行機」と言ってきました。
『は?なんで?もう一学部の発表残ってるやん』と言いましたが、
「そんな諦めて遊んでる人が受かるような大学じゃない!」的なことを言われたので、
僕は渋々友達に『東京行くから帰るわ』と言って鳥栖のアウトレットを後にしました。
※このときの記憶は鮮明です(笑)
それから母親と飛行機で羽田に行って、
夜も遅かったので羽田近くの「京急蒲田駅」付近のアパホテルに泊まりました。
僕が『ご飯は?』と聞くと、
「勝手に食べてこんね」と言われました。
『めっちゃ怒ってるやん…』
僕は諦めて自分の部屋で二年ぶりにスマホを触りまくってました。
※二年間スマホを解約してました
すると突然佐賀にいる父親から電話が来ました。
母親からキレられていたので、
『なに?暇じゃないんだけど』と、父親にキツくあたりました。
すると、いつも通りとぼけた声で
「おお、なんか早稲田から書類が来とったぞ〜」と言われました。
僕は舐められてると思いました。
『あのさ!早稲田落ちたけん、今東京に来とるとよ?どーせ早稲田〇〇予備校とかから「三浪しませんか?」とかの書類やろ!』とキレると、
これまたとぼけた声で、
「いやいや、早稲田大学人間科学部からよ〜」と言われました。
『!?!?!?』
その学部は噂の、唯一合格発表が残っていたラスト一学部でした。
『あ、、、あけてくれ!早く!』
父を急かしました。
すると父親は、
「お〜やっぱ合格しましたって書いてあるぞ〜」ととぼけた声で言ってきました!
『やったー!!!!!!!!』
僕は父親との電話なんてすぐに切り、
裸足で自分の部屋を飛び出し、母がいる隣の部屋のドアをドンドン叩きに行きました。
「なんね!?」
母親はキレていました。
『あ、、、受かった!早稲田受かった!』
僕は廊下中に響き渡る声で言いました。
すると母親は、
「どーせ早稲田〇〇予備校からの電話やろ?」と僕と同じことを言ってきました。
『ちがう!さっきお父さんから電話あった!』
そう伝えると、母親はすごく嬉しそうな顔に変わり、一緒に喜び合いました。
たぶんあのときが人生で初めて母親と抱き合って何かに喜べた瞬間だったと思います。
ただ、お互いカードキーを持たずに廊下に出ていたので、僕は裸足でロビーにスペアキーを取りに行きました(笑)
それも良い思い出です。
まあということで、
そんな超濃い一日が僕と母親にはありました。
でも残念なことに、
後にも先にもあれ以上に母親を喜ばせてあげたことはないような気がします…
それは僕が落ち着いた一般人になれたという証なのか、それとも僕がちょっとつまらない人間になってしまったのか、それは分かりません。
でもやっぱりあのときの母の喜んだ顔は忘れられません。
なので今後の人生、
またあの母の喜んだ顔が見られるように、
色んなことに挑戦していこうかと思います!
まずは4月の大会ですね!
※たぶんこれを読んだ母親から「あんた、サガテレビ辞めて起業するとか言いなさんなよ!私はそんなことされてお金持ちになられても嬉しくなかけんね!」とラインが来ると思います(笑)
サガテレビ営業部 福田
鳥栖市生まれ、東京都育ち。( ※東京には大学5年しか住んでいません )
好きなタイプ:花山瑞貴さん
尊敬する人:青年実業家の吉田皓一さん
自慢のカラダのパーツ:「綺麗に生え揃った真っ白な歯」
将来の夢:新宿のタワーマンションに住むこと
|
|