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2022.08.19

鳥栖の知られざる歴史について知ろう!高杉晋作が訪れた神社とは?

ボランティアガイド「元気隊」

今回、鳥栖の歴史的建造物や名所のガイドをしてくれるボランティアガイド「元気隊」の皆さんに鳥栖の歴史を教えてもらいました。


田代八坂神社

鳥栖市田代新町130

高杉晋作が訪れた神社

こちらの神社は、長州藩だった高杉晋作が訪れた神社。佐賀藩と同盟関係を作りたくてここに来ました。

鳥栖の代官を通して手紙を渡していますが、鍋島公は承諾しませんでした。この出来事は薩長同盟の前のことですので、もしこの時、佐賀藩と長州藩の同盟ができていれば日本の歴史は変わっていたのかもしれません。

田代代官所 通用門

次に向かったのは、代官所。江戸時代に出来て明治の廃藩置県まで代官所はありました。

ここの門は対馬藩の門!

門の上にある家紋が証拠!長崎県にある対馬の宗家の家紋なんです。でもなぜ対馬藩の門が…?

それは鳥栖市が江戸時代、鳥栖の半分の土地が宗家対馬藩とび地だったんです。


田代小学校は代官所の跡地

田代小学校は、対馬 宗家の代官所(田代代官所)でした。その跡地に小学校が建っているんです。ここでは4600坪以上の土地に代官や賄い役などの役人が領政を行っていました。

長崎街道

田代小学校に面した道路は長崎街道

代官所周辺には、対馬藩のなごりが残っています。

平川家住宅

こちらでは配置売薬業(薬の販売)を行っていました。田代町は売薬業をしていたところが多かったんです。対馬藩は朝鮮との貿易があり、薬に関する売薬があったといわれています。
「朝日万金膏」などが有名です。
田代町が薬の売買が盛んだったので、"久光製薬"がこの地ではじまったんだそうです。


鳥栖市秋葉町

このエリアは、鳥栖の中で一番当時の趣を残している通りです。

そんな通りにある、こちらの建物に注目!
この門はなぜ大きい?

馬がそのまま荷物を持って入れるようにするためにこんなに大きいんです!

馬留環(うまつなぎ)

この輪っかは馬を繋ぐためのもの。生活の足である馬を考えた住宅になっているんですね。

吉竹家住宅

250年以上続いた油屋さんもありました。


今後の元気隊の目標とは

色々な鳥栖の歴史を教えていただいた元気隊の皆さん。

元気隊 隊長の外尾さんは「新しいガイドの方が参加してくれると嬉しいですね。社会貢献と自己啓発が我々のグループのモットーなので、自分のためと思って、また、それが町のためになればとやっています。」と仰っていました。

番組で行ったのは、ほんの一部分で、歴史が好きな方向けの"詳しく知りたいガイド"から観光を楽しみたい方向けの"気軽に知りたいガイド"まで幅広く手掛けているそうです。なんと、ガイド料は無料!
鳥栖観光コンベンション協会(TEL:0942-83-8415)までお問合せしてみてはいかがでしょうか?

【2022年8月17日放送 かちかちPress 波田陽区のさがんまち珍道中より】
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