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豪雨で漂流、奇跡の帰還 看板がつなぐ消防団員の思い…
熊本・長崎・佐賀の消防団 豪雨で流された看板めぐる不思議な縁
7月の豪雨災害で熊本県の球磨川に流された漂流物が、先月、約300キロ離れた長崎県・対馬市で発見されました。
見つかったのは、団員が守り継いできた消防団の看板です。
村に戻ってくるまでの佐賀・長崎・熊本の不思議な縁をテレビ熊本が取材しました。
球磨川の氾濫 死を覚悟した消防団
【球磨村消防団4分団 松舟大吾 分団長】
「高台もなく屋根にも上がれない状況でみんな死を覚悟して救出が来ないかと。消防団としてなんと言葉をかけていいか分からない。ただ『雨が止んでくれ』それだけだった」
村民の暮らしを守ってきた消防団ですら、死を覚悟した球磨川の氾濫。
7月の豪雨災害で25人が亡くなった球磨村では孤立状態が続く中、自らも被災した多くの消防団員が救助活動に奔走していました。
球磨村消防団 詰所が被災
村内では6カ所の詰め所が被災。松舟さんが分団長を務める第4分団は避難させたポンプ車も水没してしまいました。
拠点と資機材を失った第4分団。
詰め所再建の見通しも立たない中、先月上旬、村に驚きの一報が入りました。
豪雨で流された詰所の看板発見の一報
【松舟 分団長】
「信じられなかった。こんなことがあるんですね。歴代の団員が守ってこられた看板だったので」
豪雨災害の混乱の中、団員たちも流されたことを忘れていたという詰所の看板が見つかったというのです。
漂流300キロ 長崎・対馬の海岸に漂着
【第一発見者】
「海岸を散策して帰ろうとしたら長い木の板が海岸に流れ着いているのを見つけて寄って行ったら『球磨村』と書いてあったのでこれは水害で流されたのかもしれないと思った」
球磨川から八代海を経て看板が流れ着いたのは、球磨村から直線で約300キロ離れた長崎県・対馬市の三宇田浜海水浴場。
第一発見者はサガテレビ報道デスク
『球磨村』という文字を見て熊本の被災地とピンときたという第一発見者は、たまたま家族旅行で訪れていたサガテレビ報道部の田村淳一郎デスクです。
【サガテレビ 報道部 田村 淳一郎デスク】
「八代海や東シナ海対馬海峡を通って対馬の海岸に流れ着いたのは本当に奇跡だと思います」
田村デスクは、これ以上流されないように息子と二人で海水浴場の管理棟に看板を立てかけました。
さらに、看板発見の一報は地元・対馬市の消防団へと入り、看板を球磨村に返すことになったのです。
【対馬市消防団 築城慎一 副団長】
「球磨村消防団の看板を郵送で送る準備をしていたが、それは味気ないということで、気持ちがこもった手渡しができないかと」
発見者の報道デスク 偶然にも現役の佐賀市消防団員
【田村デスク】
「対馬市消防団が球磨村に看板を返すということで長崎・熊本・佐賀の消防団のリレーができたと思います」
そう、何を隠そう第一発見者の田村デスクは現役の佐賀市消防団の団員でもあるのです。
漂流を経て球磨村消防団に帰還
そして、11月2日、海を渡った第4分団の看板は対馬から空を飛んで球磨村にかえってきました。
【球磨村消防団4分団 松舟大吾 分団長】
「今まで頑張ってきた団員へ神様からの贈り物じゃないかなと、うれしい。普通ならそのままで終わってしまうのに、発見者が同じ消防団員で丁寧に置いていただいて本当にありがたかったです」
潮の香りをまとって返ってきたのは看板だけではありませんでした。
水害の記憶を継承するために保存されることを見越して、対馬市の消防団からは対馬産のヒノキ板と、団員からの見舞い金も贈られました。
いつか再建される詰所に使ってほしいという粋な贈り物です。
「ここに駐車場と倉庫と詰所があった」と案内する松舟分団長。
大切な思い出を一瞬にして流し去った水害。
水害を忘れない…戻ってきた看板への思い
【対馬市消防団 築城慎一 副団長】
「常に警戒して気持ちを引き締めていかなければいけないと改めて思いました」
【対馬市消防団 安田壽和 団長】
「水害を忘れないように看板を置いておかないといけないですよね」
【松舟 分団長】
「ずっと引き継いでいきたいと思います」
村にかえってきた4分団の看板は豪雨の凄まじさを後世に伝えるため村で保存されることになりました。
球磨村と対馬の消防団は今後、災害研修などを行い、交流を始めることにしています。
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