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2019.04.02

『令和』考

「昭和」に生まれ、青春と青年期を謳歌した後、子育てと仕事最盛期の「平成」を生きてきた。
ざっくり言うと、30歳までが「昭和」、その後60歳までが「平成」で、61歳になって三つ目の元号を迎える。「新時代」の感傷はそれほどなく、「あと30年生きたら90歳か」という程度の、区切り感だけはある。

31年前。昭和天皇の崩御は、激動の戦争の世紀が終わるという節目を、日本国中が共有した。新聞社の社会部記者だった天皇崩御の夜、福岡は冷たい雨が降った。街中が静寂に包まれ、あちらこちらに警官が立った。新聞社は明るい記事を自粛し、前日まで明るく、無邪気だったテレビCMは、画面からごっそり消えていた。「昭和」というくびきに縛られていた世の中は、しばらくの間、服喪一色だった。

あれから31年後。月替わりで区切りのいい月曜である4月1日が、新元号発表の舞台となった。桜が満開で快晴の佐賀の町でも、テレビが新元号を速報し、新聞の号外が配られた。明るく希望あふれる、さわやかな新時代への鐘が鳴る。テレビ各局のキャスターたちは判で押したように明るく新元号を伝え、列島の喜びの声が途切れない。31年前の悲壮感や閉塞感はみじんもなく、この日の青空のように、晴れやかさ、明るさ一色である。

元号は中国由来の制度で、時の天皇が権威を示し、国民の時を支配する記号である。本家本元の中国では元号はなくなっているから、「大化」以来、およそ1300年以上続く、日本ならではの独自の制度だと言える。「世界唯一の制度で、超国宝級の無形文化財」と評する学者もいる。戦後の新憲法制定後は、元号に縛られる時代は終わり、「象徴」となった天皇は、人民も、世の中も支配しない。そういう意味で、昭和の終わりと平成の終わりでは、明らかに時代の空気感が変わって当然ではある。

新元号「令和」の出典は、日本の古典・万葉集だそうだ。過去の元号のほとんどは中国の古典から引かれ、「平成」も書経と史記が出典だった。安倍首相がわざわざ会見までして「日本の古典から初めて」と胸を張る背景にも、少しは思いを巡らせた方がいい。中国の漢字を源としてはぐくんできた日本文化なのに、いまさら中国だ、日本だという仕分けは、外交問題や現代政治のきな臭い匂いがして、歴史の重みが軽んじられてしまう。

天皇制や元号のあり方論は脇に置いて、長い日本の歴史を紡いできた248個目の元号「令和」の誕生を、素直に祝おうか。時の政権のための「令和」にしてはならない。

 

サガテレビ解説主幹
宮原拓也

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