アナウンサー
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鶴丸 英樹のブログ記事
わたしの平成記⑤(平成5年)
わたしの平成記 5回目は
平成5年(1993年)です。
前回お伝えしたように入社1年目は報道カメラマンとして映像を勉強することで精いっぱいの日々でしたが2年目にアナウンサーに転向します。
学生時代に放送研究会やアナウンススクールに所属したわけではない私にとっては大きなチャレンジでした。
春には毎年フジテレビで行われる系列の新人アナウンサー研修に参加。
現在のお台場の社屋ではなく新宿 河田町の旧社屋でした。
こんな感じでした。
屋上?バルコニー?のような場所から隣の東京女子医大に向かって
「あ・え・い・う・え・お・あ・お」と
発声練習をしていたのを思い出します。
小さいころからテレビで見ていたフジテレビの大先輩のアナウンサー方に指導を受け少しふわふわしたミーハーな気分にもなっていました。
秋には、当時の関西テレビの保養施設で行われた3泊4日の系列新人アナウンサー研修会に参加。
昼間は真面目に研修
夜は楽しい懇親会
ただ、 この合宿中に 大きな“悲劇”が起きてしまいました。
そう、あの『ドーハの悲劇』です。
Jリーグが開幕したこの年オフト監督のもとカズ、ラモス、柱谷、武田、中山らを擁し初のワールドカップ出場を目指していた日本代表はアジア最終予選で苦しみながらもあと1勝のところまできていました。
そして運命のイラク戦
2-1とリードして迎えた終了間際のロスタイム(現在はアディショナルタイム)に同点ゴールを許し2-2。
目の前にあったワールドカップ出場が一転、予選敗退となりました
テレビで見ていた我々研修の参加者もその瞬間「あ~っ」と声をあげ絶望に打ちひしがれました。
ピッチに座り込むラモスの姿が目に焼き付いています。
あの瞬間、国内で何百万人、あるいは何千万人もの人が悲鳴をあげたのではないでしょうか・・・。
さてこの年は政治でも大きな出来事が。
細川護煕氏を首相とする連立政権が誕生しいわゆる55年体制が終わりました。
“政治が変わる”と期待した人も多かったはずですが思った以上に短命に終わりました。
【平成5年のおもな出来事】
■皇太子さま 雅子さま ご成婚
■EU(欧州連合)が発足
■曙太郎 史上初の外国人横綱に
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