佐賀のニュース
【戦争の記憶】 特攻隊とシベリア抑留 2度の地獄を生き抜いた男性
2022/08/11 (木) 15:30
太平洋戦争が終わってから77年。日本はその後、他国と戦火を交えていませんが、ウクライナ侵攻など戦争・紛争は絶えません。サガテレビが過去に取材した人の記憶を振り返り、改めて戦争、そして平和について考えます。
≪2017年8月17日放送≫
(年齢は放送当時)
太平洋戦争で多くの戦友を失った元特攻隊員で佐賀市に住む90歳の男性。苦しい特攻隊員の時期を乗り越えた先に、男性が人生で一番の地獄と語る出来事が待っていました。
3562人。太平洋戦争末期、沖縄へ侵攻していたアメリカ軍の船に、戦闘機などに爆弾をつけ体当たりするいわゆる「特別攻撃隊」での戦死者です。
「人間の命を爆弾抱えて行かせるなんて邪道」
佐賀市に住む鳥谷邦武さん90歳。元特攻隊員です。1926年、大正15年に佐賀市に生まれ、大空を飛ぶ飛行隊に憧れ、1943年16歳の若さで福岡県の大刀洗陸軍飛行学校に入校します。
「思い出しますよ。ここは。私はここで生まれて、ここで育ったと思っています」
1年間、風呂に入る時間もないほど兵隊に必要な基礎訓練を受けました。
「人間離れした教育を受けて、連帯責任や個人的なものとか何かにつけてとにかく殴られる」
卒業後、中国東北部の満州にあった飛行学校の分校で、戦闘飛行に必要な操縦技術の訓練に入りました。一方、戦局はアメリカの物量に圧倒され悪化の一途をたどり、日本軍は起死回生策として、世界に類を見ない特攻作戦を始めます。1945年3月、鳥谷さんが18歳のとき、特攻隊員に指名されます。
『鳥谷邦武18歳、特攻隊「第四二七振武隊」に編成』
「覚悟はしていたが、どういうわけか足がガタガタと震えて、次に命令が来たらすぐに出撃だから。それは死ぬのは誰だって嫌だ」
しかし、6月末に沖縄での組織的な戦闘が終結すると、鳥谷さんの特攻は中止となりました。
「命助かったと。これで生きて帰れると思った。1回模擬爆弾をつけて飛んだことがある。何もつけなかったら垂直旋回できる。とてもじゃないが操縦方法が全然違ってくる。アメリカ空軍としてはこれより落としやすいものはない。反撃はしない。ノロノロは飛ぶでしょ。本当の邪道ですね」
分かっているだけも、鳥谷さんの同期生30人近くが出撃、戦死しました。その遺影の一部が大刀洗平和記念館にあります。
「紺野。これとよく話していた。『鳥谷死にたくないな。死にたくないな』と。小林米太郎。横浜出身やった。妹が美人ってよく自慢していた。みんな知った顔ばかりだから、親御さんの気持ちを思ったらたまらない」
しかし、鳥谷さんが人生で一番の地獄と語る出来事はこれからでした。
「もう帰りたいのと食べたいというのだけで楽しみはなかったですね。私は共食いしなかっただけ良かったと思うくらい」
今月6日。鳥谷さんはシベリア抑留者の一人として、福岡市での講演会に臨んでいました。
「食べ物がないから拾い食いばかりで、たまり場に行ったら水草があって、兵隊がそれを食べる。そしたら口から泡を吹いて、これ毒草食べたなと。最後は血が出てくる。これもう駄目だということで、そういう風なことで死んだ兵隊もだいぶいる」
鳥谷さんは終戦後、旧ソ連軍に連行され、最低気温がマイナス63度にもなる西シベリアの「ヤヤ第六収容所」で満足な食事や休養も与えられず、苛烈な労働を強要されます。
「タバコの箱ぐらいの大きさ、もっと小さいですね。それが黒パン。1日に1食です。3食ではない。お昼ご飯を食べているソ連人のそばにすり寄っていって、ちょっとくれと。もう人格も何もない。あわれなもの」
豪華な食べ物の幻覚が見えるほど食料に飢え、餓死した仲間。極寒の中、材木を輸送する重労働で凍死した仲間。遺体を埋める墓もなく、収容所の外に置いた後、オオカミのえさになっていたと言います。シベリア抑留では抑留された57万5000人のうち5万5000人が二度と、日本の土を踏むことができませんでした。鳥谷さんは抑留から1年半後、帰国します。
「岸壁にのぼり持った人がいっぱいいた。親は心配して引き揚げ船が来るたびに、ご苦労さんでしたって言って、のぼりに名前書いて…」
特攻隊員とシベリア抑留。2度、過酷な状況を生き抜いた鳥谷さん。
「やっぱり戦争をしないことですね。子供がかわいいですもん。孫がかわいいですもん。徴兵なんかで死なせたくはないし。おそろしいですよ戦争は」
鳥谷さんは、シベリア抑留から4年ぶりに帰国する時に、船の上からランドルセルを背負って学校に行く小学生を見て、涙が出たそうです。また、安否を心配していた母は帰国した鳥谷さんを見て、「痩せたね」とただ一言声をかけたということです。
終
≪2017年8月17日放送≫
(年齢は放送当時)
太平洋戦争で多くの戦友を失った元特攻隊員で佐賀市に住む90歳の男性。苦しい特攻隊員の時期を乗り越えた先に、男性が人生で一番の地獄と語る出来事が待っていました。
3562人。太平洋戦争末期、沖縄へ侵攻していたアメリカ軍の船に、戦闘機などに爆弾をつけ体当たりするいわゆる「特別攻撃隊」での戦死者です。
「人間の命を爆弾抱えて行かせるなんて邪道」
佐賀市に住む鳥谷邦武さん90歳。元特攻隊員です。1926年、大正15年に佐賀市に生まれ、大空を飛ぶ飛行隊に憧れ、1943年16歳の若さで福岡県の大刀洗陸軍飛行学校に入校します。
「思い出しますよ。ここは。私はここで生まれて、ここで育ったと思っています」
1年間、風呂に入る時間もないほど兵隊に必要な基礎訓練を受けました。
「人間離れした教育を受けて、連帯責任や個人的なものとか何かにつけてとにかく殴られる」
卒業後、中国東北部の満州にあった飛行学校の分校で、戦闘飛行に必要な操縦技術の訓練に入りました。一方、戦局はアメリカの物量に圧倒され悪化の一途をたどり、日本軍は起死回生策として、世界に類を見ない特攻作戦を始めます。1945年3月、鳥谷さんが18歳のとき、特攻隊員に指名されます。
『鳥谷邦武18歳、特攻隊「第四二七振武隊」に編成』
「覚悟はしていたが、どういうわけか足がガタガタと震えて、次に命令が来たらすぐに出撃だから。それは死ぬのは誰だって嫌だ」
しかし、6月末に沖縄での組織的な戦闘が終結すると、鳥谷さんの特攻は中止となりました。
「命助かったと。これで生きて帰れると思った。1回模擬爆弾をつけて飛んだことがある。何もつけなかったら垂直旋回できる。とてもじゃないが操縦方法が全然違ってくる。アメリカ空軍としてはこれより落としやすいものはない。反撃はしない。ノロノロは飛ぶでしょ。本当の邪道ですね」
分かっているだけも、鳥谷さんの同期生30人近くが出撃、戦死しました。その遺影の一部が大刀洗平和記念館にあります。
「紺野。これとよく話していた。『鳥谷死にたくないな。死にたくないな』と。小林米太郎。横浜出身やった。妹が美人ってよく自慢していた。みんな知った顔ばかりだから、親御さんの気持ちを思ったらたまらない」
しかし、鳥谷さんが人生で一番の地獄と語る出来事はこれからでした。
「もう帰りたいのと食べたいというのだけで楽しみはなかったですね。私は共食いしなかっただけ良かったと思うくらい」
今月6日。鳥谷さんはシベリア抑留者の一人として、福岡市での講演会に臨んでいました。
「食べ物がないから拾い食いばかりで、たまり場に行ったら水草があって、兵隊がそれを食べる。そしたら口から泡を吹いて、これ毒草食べたなと。最後は血が出てくる。これもう駄目だということで、そういう風なことで死んだ兵隊もだいぶいる」
鳥谷さんは終戦後、旧ソ連軍に連行され、最低気温がマイナス63度にもなる西シベリアの「ヤヤ第六収容所」で満足な食事や休養も与えられず、苛烈な労働を強要されます。
「タバコの箱ぐらいの大きさ、もっと小さいですね。それが黒パン。1日に1食です。3食ではない。お昼ご飯を食べているソ連人のそばにすり寄っていって、ちょっとくれと。もう人格も何もない。あわれなもの」
豪華な食べ物の幻覚が見えるほど食料に飢え、餓死した仲間。極寒の中、材木を輸送する重労働で凍死した仲間。遺体を埋める墓もなく、収容所の外に置いた後、オオカミのえさになっていたと言います。シベリア抑留では抑留された57万5000人のうち5万5000人が二度と、日本の土を踏むことができませんでした。鳥谷さんは抑留から1年半後、帰国します。
「岸壁にのぼり持った人がいっぱいいた。親は心配して引き揚げ船が来るたびに、ご苦労さんでしたって言って、のぼりに名前書いて…」
特攻隊員とシベリア抑留。2度、過酷な状況を生き抜いた鳥谷さん。
「やっぱり戦争をしないことですね。子供がかわいいですもん。孫がかわいいですもん。徴兵なんかで死なせたくはないし。おそろしいですよ戦争は」
鳥谷さんは、シベリア抑留から4年ぶりに帰国する時に、船の上からランドルセルを背負って学校に行く小学生を見て、涙が出たそうです。また、安否を心配していた母は帰国した鳥谷さんを見て、「痩せたね」とただ一言声をかけたということです。
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