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【戦争の記憶】「何でこんなことをせにゃいかんのか」 戦争を”支えた”人の苦い思い 

2022/08/16 (火) 13:33

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太平洋戦争が終わってから77年。日本はその後、他国と戦火を交えていませんが、ウクライナ侵攻など戦争・紛争は絶えません。サガテレビが過去に取材した人の記憶を振り返り、改めて戦争、そして平和について考えます。

≪2015年8月17日放送≫
(年齢は放送当時)

先の大戦を経験した人の中には、戦地に出向かずとも武器の調達や潜水艦の製造など側面的に戦争を、いわば「支えた」人もいます。そんな任務を経験した男性の戦争への思いは…。

鳥栖市に住む荒木義房さん97歳。1918年、長崎市に生まれ、中学校を卒業した後、17歳のときに佐世保海軍工廠に就職しました。工廠とは、軍直属で潜水艦や武器などを作る工場のことです。

「航海するのに必要な計器類、それについていろいろ修理し、そういうのを船につけるところが航海工場だったわけです」

荒木さんも羅針盤や速度計といった計器類の修理や船への取り付けなどの作業に携わっていました。その後、東京高等工芸学校、現在の千葉大学で船の設計を学び、1944年、昭和19年7月から当時、東京の海軍省にあった海軍艦政本部に配属されます。ここは各地の工廠の管理指導や武器の調達を担う部門で、荒木さんは、船の部品をメーカーに発注する業務を担当していました。しかし、日を追うごとに敗戦を意識せざるを得なくなります。

「メーカーが『あれが足りません、あれができません』。早く作れと督促に言ってもそう言いますからね。結局それだけ日本の戦力が落ちてしまったわけですね。艦政本部の人みんな、こりゃ勝つような戦争じゃない、そのうち負けるよってみんな思っていたでしょうね」

年が明け、1945年になると空襲の回数も増え、いよいよ敗戦の色が濃くなります。それでも荒木さんは勝つために何をすべきか考えていたそうです。

「戦争負けるから仕事ほったらかそうという気には全くならなかったですね。何とかして挽回して米軍をやっつけてやろうと思って一生懸命自分の仕事をしていました」しかし結局、8月15日、敗戦を迎えます。

「日本も知っていたはずです。えらい上の人もね。もう向こうの方が物資も豊富だし技術も上だし、それをどうしてああいう戦争を起こしたかっていうようなことは私どもも時々そう思っていましたもんね。何でこんなことをせにゃいかんのか…」

Q,日本はなぜ戦争をしたと思いますか?

「私どもには分かりません。上の人が決めたことに従うのがわれわれの務めでしたからね」

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