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【戦争の記憶】「白い骨箱が届いて中には石ころが入っていた」 佐賀空襲を体験し家族を失った男性

2022/08/16 (火) 15:39

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太平洋戦争が終わってから77年。日本はその後、他国と戦火を交えていませんが、ウクライナ侵攻など戦争・紛争は絶えません。サガテレビが過去に取材した人の記憶を振り返り、改めて戦争、そして平和について考えます。

≪2019年8月9日放送≫
(年齢は放送当時)

終戦直前8月、アメリカ軍は現在の佐賀市北川副町や諸富町などに焼夷弾を投下しました。佐賀空襲です。佐賀空襲を体験し戦争で家族を失った男性の話です。

1945年8月5日、深夜。佐賀市周辺は、アメリカ軍の爆撃機・B29による爆撃を受け、443の家屋が焼失、61人が犠牲となりました。

「落下と同時に着火して花火のように燃えながら降りてくる焼夷弾。それがバラバラバラと」

野中保司さん、85歳。小学6年生の時に現在の佐賀市兵庫町で佐賀空襲を経験した一人です。幼少期の経験を子どもや孫に伝えようと数枚の資料にまとめていました。

『夜中にドカーンと大きな音。「空襲!!」の大きな声に飛び起きる』

「ドカーンときたものですから。土手の斜面を利用した防空壕を掘っていた。そこに避難しました」

なんとか空襲を逃れたものの、周りの悲惨な状況を目の当たりにすることになります。

「叔父は息子(いとこ)を、防空壕を頼って連れてきた。(いとこは)足が爆弾の破片でやられてブラブラしていたがすでに亡くなっていた。悲惨でした」

その10日後にむかえた終戦。しかし、落胆する知らせは続きます。

「兄が2人、ビルマで戦死をしました」

10歳ほど年の離れた兄の俊郎さんと廣次さん。亡くなった時はどちらも25歳でした。当時、戦地での遺体収容はとてもかなわず、遺骨さえも戻ってきませんでした。

「白い骨箱が届いて、中を見せられたら石ころが入っていました」

家族や大切なふるさと、全てを破壊した戦争。野中さんは当時の学校教育の恐ろしさを振り返ります。

『全てに徹底的に軍国少年に教育された』

「小学校も徹底的に忠君愛国、天皇陛下に忠義をつくす、富国強兵、特攻精神とか、日本は神の国であるとか、そういうものを一生懸命叩き込まれる。自分も大きくなったら国のために闘いに戦争に行って死ぬんだろうなと」

こうした教育は「過去の話」ではないと野中さんは訴えます。

「シリアの問題とかISの問題とか、あの少年たちは徹底的に教育されたから、とにかく人を殺しに行くじゃないですか。国家とか、団体の名を借りて。だから、なるほどな、教育の問題は人間の方向性を決める現代でもそう思う」

野中さんは教育の力で世界の平和をと願っています。

「戦争はいけません。平和的な手段で物事を解決していく、そんなあまっちょろいことを言うなという議論もあるかもわかりません。でも私はそう思います」

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