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突然襲った大量爆撃「鳥栖空襲」目の前に広がる悲惨な光景…生き抜いた91歳男性の記憶【佐賀県】

2024/08/12 (月) 18:35

戦争の記憶を紡ぐシリーズ企画。今回は鳥栖市に住む91歳の男性の体験です。
鉄道輸送の要「鳥栖」のまちを突然襲った大量の爆撃。とっさの判断で防空壕に入り、「間一髪」で助かりましたが、目の前に広がっていたのは悲惨な光景でした。

上部が吹き飛ばされた地蔵。機関銃の弾で貫かれた経典。そして神社の柱に空いた大きな穴。80年近く経った今も、鳥栖空襲の傷跡を深く残しています。

【毛利慶喜さん】
「50メートルくらい先に爆弾が落ちとるですけ、恐ろしかったですねその時は」

鳥栖市永吉町に住む毛利慶喜さん91歳です。
1941年12月8日、毛利さんが小学3年生の時、日本海軍の真珠湾攻撃を皮切りに太平洋戦争が始まりました。

【毛利慶喜さん】
「日本が占領していくのを見て喜びよった感じです。敵と味方にわかれて戦いごっこをやりよったですよ」

戦争が始まりしばらくは生活に大きな変化もなく、麦農家で生まれた毛利さんは、「麦ごはん」や「塩クジラ」が入った弁当を片手に毎日学校に通っていました。しかし、戦争の足音は徐々にそして確実に近づいていました。

【毛利慶喜さん】
Q.この辺ですかB-29が落ちたのは?
「この辺で間違いなかですね。病院の前ということを覚えています」

鳥栖空襲の1カ月ほど前、学校から帰宅する途中で毛利さん見たものは、墜落したアメリカ軍爆撃機「B-29」でした。

【毛利慶喜さん】
「最初は高いところからで喜びよったら、段々大きくなってきて、なんか自分の近くに落ちる感じやった」

B-29は太平洋戦争末期、日本軍が行った飛行機で敵艦に体当たりする特別攻撃隊、いわゆる特攻の中継基地となっていた陸軍大刀洗飛行場を狙って飛来したものでした。毛利さんが警察が集まる先を見てみるとアメリカ兵の遺体が横たわっていました。

Q.B29のパイロット?
「そうでしょうね」
Q.亡くなられてた?
「はい」

そして、1945年8月11日午前10時30分日常が一変します。「侵略者」の異名がついた攻撃機A-26などの爆撃で110人をこえる犠牲者を出した「鳥栖空襲」です。

【毛利慶喜さん】
「いとこの山本くんと一緒に木に登って遊んどったところに曽根崎の方から低く飛んできたのでびっくりして、警報はなかったですけ、急に来たから防空壕に逃げた」

太平洋戦争末期、アメリカ軍は日本本土で「空襲」を繰り返し、約38万7000人が命を落としたとされます。
その標的のひとつになったのが、「鳥栖のスズメは真っ黒スズメ」と呼ばれるほど蒸気機関車が走っていた北部九州の鉄道輸送の要「鳥栖」でした。
アメリカ軍は、火薬の原料を製造し小麦など軍用の食料を備蓄していた日清製粉鳥栖工場と、航空機部品を製作していた片倉製糸鳥栖工場をめがけて沖縄の基地から出撃しました。
第1波と第2波は南から侵入した32機が鳥栖駅を中心に交差しながら爆撃。立て続けに西から侵入した48機が日清製粉を中心に攻撃を続け、30分に渡りあわせて95.8トン380発以上を投下しました。
異変に気づいた毛利さんは、急いで木から飛び降り近くの防空壕に逃げこみました。

【毛利慶喜さん】
「泥がいっぱいですね(防空壕の)フタに当たって、穴までほげてたように思います。50メートルくらい先に爆弾が落ちとるですけ、恐ろしかったですねその時は」

爆撃がおさまり防空壕の外は景色が一変していました。

【毛利慶喜さん】
「道路とか泥で色が変わってしまっとった。親戚のおじさんが田んぼで仕事している時に落ちたらしく、その家のおばあさんと孫と、よそから親子で来ていた(計)4人が直撃受けられて亡くなったです。私のいとこは横までいってみたですけど、吹っ飛ばされて虫の息だったですね」

周りは直径10メートルほどの爆弾で空いた穴だらけ、まさに”間一髪“でした。
1945年8月15日、太平洋戦争は終戦。その後、毛利さんは26歳で結婚し、農家と大工の兼業で娘3人を育てました。

【毛利慶喜さん】
「今は世界が緊張しとるですけど、やっぱり戦争はおきてもらいたくなかですね。平和がいいですよ」
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