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【終戦企画】満州からの引き揚げを経験した女性 体験を本・講演で平和の思いを伝える【佐賀県】

2024/08/14 (水) 18:40

シリーズでお伝えしている終戦企画。今回は、満州からの引き揚げを経験した多久市の87歳の女性です。1年前に最愛の家族を失った体験などを本にまとめて自費出版。その後は精力的に講演を行うことで平和への思いを伝えます。

【坂口康子さん】
「戦争、終戦、引き揚げと8歳の時に体験しました。完全に火葬できていないお骨を少しずつ崩しながら、3人で拾いました」

8月2日、市内の老人会の会合で太平洋戦争での体験を語る、多久市東多久町の坂口康子さん、87歳。参加者は約40人。その多くは戦時中はまだ幼かったという世代です。

【参加者(82)】
「父が戦死しているわけですよ。もう聞きながら涙流して。こういうことはずっとどこへでも、ずっと伝えてもらいたいと思う」

【坂口康子さん】
「(戦争で)亡くなられた方の供養なんです。命を伝えようと思ったから。満州で生まれた。そして9歳まで育った」

昭和12年1937年、事実上日本が支配していた現在の中国の東北部満州の撫順で生まれた坂口さん。太平洋戦争の終戦直前、坂口さんは父新三さんと母春子さんを立て続けに失うことになります。

【坂口康子さん】
「お父さんは昭和20年(1945年)5月に兵隊に召集された。召集された後はお母さんと子供で暮らしていた。(病気で)母が亡くなった、8月6日終戦の9日前に。母が死んで姉が父に電報を打ったけど、ソ満(ソ連と満州)国境守備で帰ってこられなかった」

姉1人、兄2人、弟2人、子供6人で生活していた坂口さんの周辺にも軍靴の音が近づきます。

【坂口康子さん】
「ソ連兵が道幅いっぱいに並んで裏口から土足で(家に)上がってきてね。姉に拳銃(自動小銃)を突き付けて、私は風呂場に隠れて。でも姉は撃たれなかったから。隣のおじさんは撃たれた。バァーンと音がしたら、『うぅ』という声が聞こえた」

戦火からは逃れられたものの、当時は不治の病とされた結核で7歳の弟和夫さんを亡くします。弟の遺体は子供たちだけで火葬せざるを得ませんでした。

【坂口康子さん】
「7歳の弟が亡くなったんですよね。河原にリアカーに乗せて(兄2人と)3人で行ったんですよ。火がついて棺桶に燃え移って燃え上がって両方に崩れ落ちた。その時(棺桶の)中に弟がいますでしょ。それが見えた時3人はもう号泣しました」

終戦時には約155万人の日本人が暮らしていた満州。戦後多くの在留日本人が日本本土を目指します。坂口さんときょうだいは、終戦翌年の1946年7月に、引き揚げ船に乗り込みました。

【坂口康子さん】
「葫芦島という港があった。そこから船に乗った。大きい貨物船。1000人以上乗っている」

葫芦島から京都府の舞鶴に向かった引き揚げ船。その多くは佐世保や博多を経由しながらの船旅ですが、食糧不足や不衛生な環境などから船内でも悲劇があふれていました。

【坂口康子さん】
「いつも私の隣りに(ある)男の子がいた。もうがい骨ですよ、骨と皮。あくる日目を覚ましたら、亡くなっていたんですね。そしたら大人の人が抱えて、甲板の上から(遺体を)捨てるんですね。悲しいけど、どうしようもないんですよ」

船は出港から5日ほどかけて舞鶴に到着しました。

【坂口康子さん】
「ほっとしたのは舞鶴に着いて、(待機施設で)食事とお風呂と言われた時、『あぁ日本に着いたんだ』と」

しかし、シベリアに抑留された父新三さんの消息は依然として分からぬまま。大きな転機が訪れるまでは、それから45年の月日を要することになります。

【坂口康子さん】
「平成3年(1991年)、(当時のソ連大統領)ゴルバチョフが初来日した時、6万人近い抑留者の名簿が新聞で公開された。その中に父の名前を見つけた。シベリアのビラというところで父は昭和22年(1947年)に亡くなっていた」

抑留された約57万5千人うち、5万5千人は祖国の土を踏むことはできませんでした。戦後47年経った1992年9月、坂口さんはシベリア抑留者の遺族、約30人と共にシベリアに向かいます。いわゆる“シベリア墓参”です。

【坂口康子さん】
「新潟空港から(飛行機に)乗っていった。バスから降りてちょっと歩いたところに白木の墓標が立っていたんですよ。『一緒に日本に帰りましょう、あなたたちのことは1人でも多くの方に伝えます』とそこで誓ったんです」

坂口さんは夫が他界した去年夏、戦時中の体験などをつづった本「蟻のなみだ」を自費で出版しました。

【坂口康子さん】
「引き揚げ、戦争、シベリア墓参。体験したことを書いています。これを300冊作ったんですね。私は父の供養のつもりで差し上げたんです」

坂口さんは300冊の本すべてを知人などに無償で配布。今は手元に本はありませんが、本の内容を知った人たちから講演の依頼が届くようになりました。

【坂口康子さん】
「生きる喜び。生きる権利。何もかもを奪う恐ろしい狂気それが戦争なのです」

県内で行った講演の数は9回。それまでは老人会などで話す機会がほとんどでしたが、7月23日には佐賀市の佐賀清和中学校で戦争を知らない世代に平和への思いを伝えました。終戦から79年。坂口さんを突き動かすのは、戦争で命を落とした人たちへの慰霊への思いです。

【坂口康子さん】
「(戦争で)亡くなった人たちに感謝の気持ちをもってほしい。今普通に暮らしているのがどんなに幸せなことか、それを知ってほしい。やはりこれ(体験を伝えること)は私の使命」

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