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2020.01.07

懐かしい映像で振り返る佐賀~事業・イベント編~

懐かしい映像で振り返る佐賀。今回は戦後の復興に貢献した数々の事業と今や世界的に人気となっている数々のイベントについて振り返ります。

交通網の整備が進み 新たな時代へ

県内の主要な道路が整い始めた1950年頃。 整然と整備された交通網に人々は明日への期待を膨らませました。1台のバスが進むのは、県庁前の貫通道路です。このころはまだ車道と歩道の区別がない時代でした。

干拓事業

戦後、国営事業として進められた大規模な干拓事業。有明海沿岸でも干拓地が拡大しました。 佐賀平野のうち1万7000ヘクタールが干拓によって出来た土地だと言われています。

ノリ養殖が発展 日本一のノリの産地へ

今や日本一のノリの産地となった佐賀県。 養殖技術が確立され経営が軌道にのったのは50年ほど前のことです。
1958年頃から人口採苗の技術が普及しノリ養殖が飛躍的に発展しました。 環境の変化や不作を乗り越え、今季も、宝の海有明海で17年連続の日本一を目指します。

杵島炭鉱

エネルギー革命という大きな時代の流れに飲み込まれたのが、戦後の佐賀の復興に大きく貢献した杵島炭鉱です。 最盛期には8000人が従事し、大町町にはその家族など2万3千人が住んでいました。
しかし、1969年に60年の役目を終えて閉山。 多くのヤマの男が、第2の人生へと踏み出していきました。

バルーンフェスタ

佐賀県を代表する一大イベント「佐賀インターナショナルバルーンフェスタ」。 初めての大会は1980年に開催されました。 参加したバルーンはわずか14機。 テントも1張りだけのアットホームな大会でした。
それから9年後、ついに日本で初となる世界選手権が開催され132機のバルーンが一斉に佐賀の空に舞い上がりました。 この年、観客数はついに100万人を超え、アジア最大級といわれる佐賀インターナショナルバルーンフェスタの礎が築かれました。

鹿島ガタリンピック

国際的にも知られる鹿島ガタリンピック。干潟を舞台に繰り広げられるユニークな大会の第1回目が開催されたのは 1985年のことでした。
この年のテーマは「ひっきゃ潟んしゃい」。 これまで誰も体験したことのなかったこの大会を約3000人が観戦。 今では3万人ほどが来場する大会となりました。

城原川ハンギーまつり

県内外から多くの参加者が集う城原川ハンギーまつり。 ハンギーとは町の特産品のヒシの実とりに使われるたらい舟のこと。 1986年(昭和61年)に神埼市千代田町で地元を盛り上げようと始まり、華麗なハンギーさばきをみせる参加者たちに大きな声援が送られました。

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