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故郷に戻れない…東日本大震災から間もなく10年
福島の今は…サガテレビ記者が被災地へ
今年3月で東日本大震災から10年。
10年という年月が経っても故郷に戻れない被災者。また、故郷に戻らないと決めた被災者。
いまだ原発事故の影響が続く福島県をサガテレビの中溝孝紀記者が取材しました。
帰還困難区域の現状
福島県東部。
震災で事故があった福島第一原発周辺の地図です。
この赤色の地域、7つの市町村にまたがる部分が事故から10年近く経つ現在も放射線量が高く、住民が住めない帰還困難区域となっています。
多くの住民が今も帰還できず
中溝記者が取材したのが、そのうちのひとつ双葉町。
JR双葉駅を中心に復興の拠点となる区域が設定されていて、このエリアには許可がなくても立ち入ることができます。
駅舎は新しく建て直され、電車も車も走っています。
ただこのあたりは立ち入りの規制が緩和されただけで、避難指示が続いていて、住宅には誰も住んでいない状況です。いまだにほぼ全域が帰還困難区域となっています。
俯瞰で見ると、どこにでもあるような平凡な町に見えますが、約6千人の町民は今も町外への避難を余儀なくされています。
町の至るところには発災当時からそのままの状態で残っている民家や店舗が…。震災から約10年経ったいまでも町民らが着の身着のまま避難した跡がそのまま残っています。
いまだにほとんど手つかずの場所があり、原発事故の影響が長期間残り続け、復興の難しさがわかります。
次に向かったのが、双葉町の隣、大熊町。福島第一原発が立地する帰還困難区域です。
道路を通ることはできるのですが、一面に張り巡らされたゲートの向こう側は放射線量が高く、敷地に立ち入ることはできません。かつて町の中心部だった東部の地域は、一部で立ち入りはできるものの、まだ住むことはできない状況です。
故郷に帰っても自宅に戻れない
一方、避難指示が解除され、帰還した町民が住んでいるのが大熊町の西部地域。
ここは大川原地区の復興公営住宅です。
避難先から戻ってきている約280人の町民の多くがここで生活していますが、あくまでも仮の住まいです。
「大熊町に小さい時からお世話になってんだよね。だからもうどうしてもね、他に行くというのは考えられなかった。自分の家が壊れていればいろいろ考えたと思うんだけど自分の家は壊れてないんで」
そう語るのは伏見明義さん70歳。
約8年間の避難生活を経て、去年6月大熊町に戻ってきました。
【伏見明義さん】
「本当に変な話だよね。自分の家なのに、なんで許可もらって入んなくちゃなんねえんだって。原発ってなんとも言えないんだよね。原発のおかげでいままで町が良くなってきたわけだから。どっちとも言えない…原発が爆発するとは思わなかったからね」
公営住宅で暮らしながら定期的に自宅に通い、窓を開けて換気したり草むしりしたりして、いつか戻れるのを待つ毎日です。
【伏見明義さん】
「先のことはあんまり考えない。考えていたらきりがない。ただ10個歳取った」
ふるさとの大熊町には戻れても自宅にはまだ住めない伏見さん。
災害公営住宅に暮らす人の多くは、伏見さんのようにいずれは元の家に戻りたいと考えて、いったん、自宅に近い“仮の住まい”で生活しています。
“戻らない”と決めた住民の方が多い現実
しかし、そのように考える住民よりも“もう戻らない”と決めた住民の方が多いのが現実です。
去年秋に実施された復興庁などの調査では大熊町民の6割が「戻らないと決めている」と回答しています。
また、双葉町を対象にした調査でも約6割の町民が同様の回答をしています。
実際、佐賀県内にも福島県から避難している人が現在も20世帯47人います。
今回そのうちの1人、鳥栖市に住む男性に“もう戻らない”と決めたその胸中をききました。
【金本友孝さん】
「帰っても原発も先行き不明だし、どうなるか分からない、生活もできない、収入もない、じゃあ残るしかないという結果、決断としては。そうなったんですよね」
鳥栖市田代大官町にある教会、ここで牧師をしている金本友孝さん59歳。
震災前は福島県南東に位置するいわき市に住み、そこでも教会を営んでいました。
いわき市は福島第一原発の事故による避難指示の対象にはならなかったものの、より近くにある第二原発でも爆発が起きるかもしれないという不安から自主避難を決意したといいます。
【金本友孝さん】「福島第二原発から自分の家まで30キロ、これ絶対にやばいと。そうなる前に避難しなきゃ。もう死ぬって思いましたあの時は」
車で家族5人、各地を転々としながら避難し、最終的に行き着いたのが妻・啓子さんの父親が営んでいた教会でした。
原発事故の影響を受けたのは、放射性物質が漏れ出し避難指示が出された地域の住民だけではありません。
【金本友孝さん】
「原発事故というのは人の心と人間関係とコミュニティと社会と、そういう目に見えないすべてを破壊した」
東日本大震災から10年が経とうとしている現在も、ふるさとに戻りたいと考える住民、戻らないと決めた住民、それぞれ複雑な思いを抱えて生きています。
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