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じじぃ放談 10「老いてどう生きるか」
「老いる」という言葉は深い。
一般的には心身の老化が進み、知力も運動能力も落ち、病に伏せって死を待つ、という人生の晩年をさす。しかし、年を重ねてさらに学びを深めて物事を究め、人格的にも重厚感が出てくる人もいる。老いてこそ、人生に磨きをかけるタイプだろう。一方で、ただ過去の栄光にしがみついて死を待つだけの晩年もある。高齢社会が熟し、長い余生が待つ時代だからこそ、老いのかたちも多様化している。
例えば、組織にもこの「老いの多様化」が影を落とす。社長がトップ、というのは世間的には常識かもしれないが、実はそうではない。社長をしっかり陰で操る会長がいるのが一般的で、その会長や社長をへいげいする相談役がいる場合も多い。さらに、そのまた上には顧問や最高顧問などの肩書の人がいるとブラックジョークに近い。熟した老人が上の方に君臨すればまだいいが、そうではない、いわゆる「老害」は身近に散見される。
総理大臣まで務めた森喜朗氏が、東京五輪・パラリンピック大会の組織委員長を降板した。女性の蔑視発言が直接の引き金となったが、問題となった発言内容というより、この方は83歳という年齢にしては、老いの深みがまるでないことが、世間からレッドカードを突き付けられた決定打に思える。長年はぐくんできた知識や知恵、日本の総理を経験したがゆえの国家観や世界観があれば、本来、こんなバカげた女性差別発言などするはずもない。
ただ、森氏は以前から問題発言の帝王でもある。並べればきりがないが、あまり考えずにその場の反射神経的な物言いが多いことが特徴である。「大阪はたんツボだ」とか「(無党派層は)投票せず、寝てしまってくれればいい」などは、ちょっと考えたら政治家として話すべきでないことは、誰でもわかる。政治家は話をしてナンボで、おもしろい話をする人に限って、軽口になり言葉が滑る。麻生大臣しかり…。
政治家は言葉で立たなければならない。聞くものを振り向かせ、引きつけ、夢中にさせなければならない。時には反射神経で飛び出す軽妙な語り口も必要だろうが、人を引きつけるのは、地べたを這う経験と、それに基づく深い思考と、地域や国民への限りない愛情である。
「これからが、これまでを決める」。とあるお寺の掲示板に書かれた、作者不詳の言葉だそうだ。定年まで勤めた仕事のポストや実績だけで、その人の値打ちが決まるものではない。年老いてからどう生きるか。晩年の生き様が、それまでの人生の歩みに価値を与える、という意味だろう。最近出会った名言のひとつである。
さて、コロナ禍。
森さんのように、もともとあるその人の差別の根っこが、むくむくと膨らむ風潮が広がりやすい。言葉が思考しないと、差別はさらに凶悪になっていく。
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