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68年前の大水害「28水」 写真新たに発見 父の教えは「サイレン鳴ったら2階に逃げろ」

2021/06/23 (水) 19:15

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「災害~私の記憶」、今回は今からおよそ70年前、江北町を含め県内を襲った大水害。町役場にも1枚も残っていなかった貴重な当時の写真を、町内に住む女性が見つけました。撮影したのは当時役場に勤めていた亡き父親でした。

佐賀県江北町のふれあい交流センターネイブルにならんだ写真。今から68年前の1953年、昭和28年に佐賀を襲った大水害、いわゆる「28水」の被害を映した写真です。(「28水」伝える佐賀県の記録映像)「昭和28年6月下旬、本県を襲った豪雨は大水害となり、河川は氾濫し家は押し流され、田も畑も一瞬にしてとうとうと濁水うずまく泥海と化し、また、尊い人命を失い、本県水害史上まれに見る大損害を与えたのであります」

 県内では、いずれも多いところで平野部でおよそ600ミリ、山間部ではおよそ900ミリの雨が降ったとされ、各地で河川が氾濫し堤防が決壊、死者59人・行方不明者3人の被害が出ました。

 【二宮幸枝さん】「これが見つかった写真です」写真展を開いた江北町の二宮)幸枝さん67歳。おととし5月、幸枝さんが自宅の車庫を片付けていたところ、父・田口良夫さんが撮影した昔の写真が見つかり、その中に28水の写真があるのに気づきました。江北町の被害を撮影した写真は町史にも載っておらず、貴重なものでした。撮影したのは当時は珍しかった写真が趣味だった父良夫さん。28水の次の年に生まれた幸枝さんに写真を見せて、水害の恐ろしさを伝えていたそうです。【二宮幸枝さん】「堤防が決壊したら浸水するということで、この写真を見せてこんな風になるからサイレンが鳴ったら2階に逃げろと」

 良夫さんは当時、役場に勤務。救助の傍ら、カメラで水害の様子を収めたものとみられます。【二宮幸枝さん】「(江北町役場の)福祉の衛生係になっていたらしくて、救助と食料支援とかおにぎりを船に積んで行っていたのをいとこが見ていた」「どうしても撮りたかったんでしょうね。これを残しておかなきゃいけない。このくらい水害があるのは滅多にないかもしれないと」幸枝さんはこの写真を多くの人に見てもらうことで28水を風化させないよう、写真展を開きました。

 写真の中にひときわ目立つ建物がありました。今も残る浄徳寺(じょうとくじ)です。浄徳寺の住職、森知見さん。当時、森さんは中学生でした。【浄徳寺・森知見さん】「膝くらいまではきましたね」「もう周りが全部、海の中にポツンポツンと家がある状態」「特に南の方の八町の方に行くと、1階は天井まで浸かるような状態でした」幸いにも寺の中に水は入ってこなかったものの、水の恐ろしさは忘れられないと言います。【浄徳寺・森知見さん】「増えるのが早いんですよ。『あーっ』と言っているうちに(水位が)グーッと上がってくる。入ってきたぞと言い出してから床上まで来る間がものすごく早い」

 写真展に置かれたノートにも会場を訪れた人が当時の様子を書き残していました。「馬も牛も藁小積もどんどん流されていくのが見えて、怖かった」

 幸枝さんは特に28水を経験した人に写真を見てもらい、改めて水害の恐ろしさを思い出して備えてほしいと言います。【二宮幸枝さん】「実際体験して記憶にある人は高齢者の方ですので、今一度思い出して水が来る前に2階に垂直避難するとか、避難所の方がいいか、その時の判断で動いてほしいと思います」

 写真展は入場無料、江北町のふれあい交流センターネイブルで5月30日まで。

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