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「災害の記憶(再)」 伊万里市の大規模地滑り 60年経っても消えない住民の不安【佐賀県】

2022/03/11 (金) 07:00

東日本大震災から11年。しかし今も被災地の苦悩は続いています。
想定外の甚大な災害。その記憶を忘れず、今後の防災に生かしていこうと、サガテレビでは「災害・私の記憶」をシリーズで放送を続けています。
災害の記憶を風化させないため、過去に放送した内容を改めて掲載します。

≪2021年2月10日 放送≫
シリーズでお伝えしている「災害・私の記憶」。
1957年伊万里市山代町で7人が犠牲となった大規模な地滑り。
60年以上経った今も住民は不安を感じながら生活しています。

昭和32年(1957年)7月6日、伊万里市山代町の西大久保地区で大規模な地滑りが起きました。梅雨の末期に雨が連日降り続いたことが影響したと考えられています。

西大久保地区に住む山口勝敏さん。
自宅の目の前を土砂が流れ数メートル先の家屋が倒壊していく様子を目の当たりにしました。

【山口勝敏さん】
「最初にミカン畑の石垣がコロコロっと落ちた。それと同時に斜面が丸くなり木がざわざわっとなって一気に地すべりが起きた」
「父が『はよ逃げろ!危なかぞ!』と言ってくれたので私は必死になって上の方に逃げた」
「逃げてから対岸に回って見た時は中学生ながらも悲しかった。地肌が全部崩れて集落がなくなっていた。一瞬にしてですね」

同じ山腹にある隣の地区西分地区に住む吉田学さんも、反対側の山から地滑りを見て衝撃を受けたといいます。

【吉田学さん】
「『滑り出したよ』って言われて慌てて家の前の高台に来てみていたら、竹みたいなのがざわざわ出てきていた。ゴオーと言いながら」

この地滑りで、60万トンの土砂が崩れ落ち、21戸の家屋が埋もれました。
7人が亡くなり、1人が重傷となる被害が出ました。
亡くなったうちの1人は吉田さんの同級生でした。

【吉田学さん】
「金子君は当時小学校1年生。2、3日後に亡くなったと知った。1年生の時だったので非常に悲しかったのを覚えている」

この地滑りもきっかけとなり国は翌年、「地すべり等防止法」を制定。西大久保地区や西分地区などがある山腹全体が「地すべり防止区域」に指定されました。
これにより、地滑りの原因の一つとなる地下水を排除するための対策が2002年度まで複数回にわたり行われました。
しかし…

【山口勝敏さん】
「おととし大雨が降って水路が増水し水が黒く濁った。そういう地滑りの兆候があると地域住民からよく聞きます」

地滑り対策は継続的に監視を続けていく必要があります。
現在、西大久保地区に暮らしているのは33世帯59人(2021年2月1日現在)。
高齢化が進み、住民の数は当時の3分の1ほどに減少するなか、60年以上経った今も住民の不安がなくなったわけではありません。

【吉田学さん】
「山林に人が入らないので、日ごろの点検・注意する所が見えづらい。表通りの道から兆候に気づく時はもう遅いと思うんです」

【山口勝敏さん】
「この大地滑りを絶対忘れちゃいかん、忘れずに危険な箇所の点検をし、みんなで話し合いをしなくちゃいけない」

かつては住民が薪を取りに行くなどし、山の異常を感じられていたが、生活の変化や高齢化により山に入ることがなくなった。地域住民の高齢化にともない災害時の早期の避難の呼びかけや事前の安全点検がさらに重要になっている。
そこで区長たちは地区の住民だけでなく山代町の地域全体で協力し、共同で危機管理をしていきたいと話している。

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豪雨、地震、大雪…近年激甚化する災害。過去の教訓を防災に生かしていこうと、県民のみなさんの災害の記憶をシリーズで掲載します。

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