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【戦争の記憶】終戦をソウルではなくピョンヤンで迎えていたら…人生は大きく変わっていた
2022/08/16 (火) 12:19

太平洋戦争が終わってから77年。日本はその後、他国と戦火を交えていませんが、ウクライナ侵攻など戦争・紛争は絶えません。サガテレビが過去に取材した人の記憶を振り返り、改めて戦争、そして平和について考えます。
≪2020年8月5日放送≫
(年齢は放送当時)
薬学を学ぶため朝鮮半島に渡り終戦を迎えた鹿島市の男性。もし、終戦をソウルではなくピョンヤンで迎えていたら、人生は大きく変わっていたと林さんは考えています。
「大村の海軍航空隊でしょうね、こうね、上をずーっとね、こう戦隊を組んだとがね、何機もね。毎日ですね。何日間か続いたような感じがしますよ。なんかおかしかね~と思いよった。この空もやっぱり真珠湾に通じとったかと思ってさ」
鹿島市に住む林倫藏さん、95歳。林さんが旧制鹿島中学校5年生のとき、昭和16年1941年12月に日本はハワイの真珠湾に停泊中のアメリカ太平洋艦隊を攻撃し、太平洋戦争に突入しました。16歳のときでした。
「学校に行ったら『全校生徒緊急に集まれ』と。校長が訓辞したんですよ。『これから先はね、皆さんの双肩にかかっている』と」
太平洋戦争が始まる前から林さんたち生徒も、軍事教練として週に2回射撃訓練などを受けていました。体育祭は、その腕前を披露し競う場だったといいます。
「銃器庫というのがありまして、そこに収まとった銃器を使って実際に持ってね、こんな格好して、こんなんしよった(杖で銃持つ格好)」
その後、林さんは母の勧めもあり、朝鮮半島随一と言われていたソウルにある薬学の学校に入学するため、当時、日本の統治下にあった朝鮮半島に渡ります。その大学でひときわ異彩を放っていたのが「毒ガス研究班」というサークルでした。
「防毒着の脱着訓練。全部ゴム製の衣類ですよ。マスクして空気がうまく入ってこんわけですよ、呼吸困難になってね、皆もうバタバタ倒れて」
医療系の学校に通っていたため徴兵は免れたものの、さまざまな形で戦争に関わる事になっていきます。
「食塩の電気分解をしてね、塩素ガスとか、グリセリンとか。例えばグリセリンのようなとは、火薬の原料ですから。使い道は教えないんですよね、こんなのを作りなさいって」
昭和20年1945年に入ると、戦争は激しさを増し、3月には東京大空襲、6月には沖縄での組織的な戦闘が集結。日本はしだいに苦しい状況に追い込まれていきます。そのような状況のなか、林さんも、ある決断をします。
「どうせ死ねとなれば早く行って頑張ってやった方が良くないかという感じを皆がもったわけですよ。学生の控室あたりに貼ってあった、志願兵募集を。特別甲種幹部候補生志願募集があった、それに志願したわけですよ」
軍の幹部候補生になるため、その年の7月、朝鮮半島の北西部にあった平壌に行き合格通知をもらった林さん。志願はしたものの、思いは複雑でした。
「教官が『君もいよいよ軍人になりますか』と。一瞬ドキっとしましたよ。志願兵になるために学校に行ったんじゃないから。合格通知の来てね、学校のその軍事教官から言われたときは、もうほんと、あ~と思いましたよ。もう追い詰められたような感じですからね、日本人は全員死なんばなんていうような雰囲気でもあったもんね」
そして、迎えた8月15日。入隊のためソウルに戻っていた林さんは、街の異変に気付きます。
「電車に乗ると朝鮮語ばっかりやもんね、ありゃ~って。朝鮮の民衆が太鼓を打ったり鐘を叩いたりして、あるいは旗を持ったりして並んで『万歳、万歳、朝鮮勝った、朝鮮勝った、日本負けた・・・』」
もし、終戦をソウルではなくピョンヤンで迎えていたら、人生は大きく変わっていたと林さんは考えています。
「危なかどころじゃなかですよ、もう帰って来られないからね。捕まってね、うまく命がつながった奴は、今度はソ連に引き渡されてシベリア行きですたい」
終戦の1カ月後、林さんは2年半ぶりに無事、日本の土を踏みました。しかし、懐かしい風景はそこにはありませんでした。
「博多駅から、海岸の方を向いたらね、市街地の方は全部それこそ焼け野原ですね。うわぁ~と思ったですね。もう本当に悲惨なもんじゃったねー。あ~…」
戦後は、地元鹿島で高校生に数学や科学を教えた後、薬局店を営みました。
「私共は長い間、戦争の時代、激動の時代を過ぎてきまして、戦争なんてね、本当にね、人と人のつながりを楽しみ、幸せ、そんなものは全て打ち消されてしまいます。恐ろしいです」
終
≪2020年8月5日放送≫
(年齢は放送当時)
薬学を学ぶため朝鮮半島に渡り終戦を迎えた鹿島市の男性。もし、終戦をソウルではなくピョンヤンで迎えていたら、人生は大きく変わっていたと林さんは考えています。
「大村の海軍航空隊でしょうね、こうね、上をずーっとね、こう戦隊を組んだとがね、何機もね。毎日ですね。何日間か続いたような感じがしますよ。なんかおかしかね~と思いよった。この空もやっぱり真珠湾に通じとったかと思ってさ」
鹿島市に住む林倫藏さん、95歳。林さんが旧制鹿島中学校5年生のとき、昭和16年1941年12月に日本はハワイの真珠湾に停泊中のアメリカ太平洋艦隊を攻撃し、太平洋戦争に突入しました。16歳のときでした。
「学校に行ったら『全校生徒緊急に集まれ』と。校長が訓辞したんですよ。『これから先はね、皆さんの双肩にかかっている』と」
太平洋戦争が始まる前から林さんたち生徒も、軍事教練として週に2回射撃訓練などを受けていました。体育祭は、その腕前を披露し競う場だったといいます。
「銃器庫というのがありまして、そこに収まとった銃器を使って実際に持ってね、こんな格好して、こんなんしよった(杖で銃持つ格好)」
その後、林さんは母の勧めもあり、朝鮮半島随一と言われていたソウルにある薬学の学校に入学するため、当時、日本の統治下にあった朝鮮半島に渡ります。その大学でひときわ異彩を放っていたのが「毒ガス研究班」というサークルでした。
「防毒着の脱着訓練。全部ゴム製の衣類ですよ。マスクして空気がうまく入ってこんわけですよ、呼吸困難になってね、皆もうバタバタ倒れて」
医療系の学校に通っていたため徴兵は免れたものの、さまざまな形で戦争に関わる事になっていきます。
「食塩の電気分解をしてね、塩素ガスとか、グリセリンとか。例えばグリセリンのようなとは、火薬の原料ですから。使い道は教えないんですよね、こんなのを作りなさいって」
昭和20年1945年に入ると、戦争は激しさを増し、3月には東京大空襲、6月には沖縄での組織的な戦闘が集結。日本はしだいに苦しい状況に追い込まれていきます。そのような状況のなか、林さんも、ある決断をします。
「どうせ死ねとなれば早く行って頑張ってやった方が良くないかという感じを皆がもったわけですよ。学生の控室あたりに貼ってあった、志願兵募集を。特別甲種幹部候補生志願募集があった、それに志願したわけですよ」
軍の幹部候補生になるため、その年の7月、朝鮮半島の北西部にあった平壌に行き合格通知をもらった林さん。志願はしたものの、思いは複雑でした。
「教官が『君もいよいよ軍人になりますか』と。一瞬ドキっとしましたよ。志願兵になるために学校に行ったんじゃないから。合格通知の来てね、学校のその軍事教官から言われたときは、もうほんと、あ~と思いましたよ。もう追い詰められたような感じですからね、日本人は全員死なんばなんていうような雰囲気でもあったもんね」
そして、迎えた8月15日。入隊のためソウルに戻っていた林さんは、街の異変に気付きます。
「電車に乗ると朝鮮語ばっかりやもんね、ありゃ~って。朝鮮の民衆が太鼓を打ったり鐘を叩いたりして、あるいは旗を持ったりして並んで『万歳、万歳、朝鮮勝った、朝鮮勝った、日本負けた・・・』」
もし、終戦をソウルではなくピョンヤンで迎えていたら、人生は大きく変わっていたと林さんは考えています。
「危なかどころじゃなかですよ、もう帰って来られないからね。捕まってね、うまく命がつながった奴は、今度はソ連に引き渡されてシベリア行きですたい」
終戦の1カ月後、林さんは2年半ぶりに無事、日本の土を踏みました。しかし、懐かしい風景はそこにはありませんでした。
「博多駅から、海岸の方を向いたらね、市街地の方は全部それこそ焼け野原ですね。うわぁ~と思ったですね。もう本当に悲惨なもんじゃったねー。あ~…」
戦後は、地元鹿島で高校生に数学や科学を教えた後、薬局店を営みました。
「私共は長い間、戦争の時代、激動の時代を過ぎてきまして、戦争なんてね、本当にね、人と人のつながりを楽しみ、幸せ、そんなものは全て打ち消されてしまいます。恐ろしいです」
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