佐賀のニュース
【戦争の記憶】同級生の多くが戦死したビルマ戦線 1年遅れの出征で生還した男性の思い
2022/08/17 (水) 15:01
太平洋戦争が終わってから77年。日本はその後、他国と戦火を交えていませんが、ウクライナ侵攻など戦争・紛争は絶えません。サガテレビが過去に取材した人の記憶を振り返り、改めて戦争、そして平和について考えます。
≪2020年8月10日放送≫
(年齢は放送当時)
江北町の野口正隆さん97歳の体験。熾烈を極めたビルマ戦線から生還した理由の1つは徴兵検査でした。
江北町にある肥前山口駅を歩く男性。
「変わってしまっているからもうあんまり…」
この駅から77年前、戦地へ赴きました。戦後につくられた江北小学校の卒業名簿では男性の同級生の多くは戦死したことが記されています。
「こうして何人も死んだりなんかして、ほんとにねと思うです」
江北町の野口正隆さん97歳。1942年、昭和17年に徴兵検査を受けます。当時の日本では20歳に達した男性は兵隊になるのが義務で、身長や健康状態に問題ない甲種で合格するとすぐに入隊となりました。しかし、野口さんは…。
「甲種合格じゃないから、現役では行けなかった。同級生のほとんどは甲種合格だったから17年に行ったわけですよ。外れて悪かったなと思った。みんなと一緒に行きたかった」
生まれつき体が弱かった野口さんは同級生とは”1年遅れ”、それも補充兵として徴集されます。
「家族は応援してくれたですよ。私もその気で”勝ってくるけんね”って言って、行ったですもんね」
これは、終戦後に野口さんが書いた出征からの記録です。
「野砲兵第26連隊の補充隊として入隊したです」
その後、1944年昭和19年、野口さんたちの部隊が派遣されたのは現在のミャンマー、ビルマです。開戦からまもなく、日本軍は当時イギリスの植民地だったビルマに侵攻し、勢いに乗じて全土を制圧しました。しかし、一旦は退却したイギリスやアメリカなどの連合国軍は態勢を立て直し反撃。日本軍は各方面で敗北し、最終的に連合国軍はビルマのほぼ全土を奪回、日本の戦没者は少なくとも13万人を超えるとされています。
「戦いに行きはしたことあるけど、実際なんも戦闘はしとらんですもんね」
野口さんたちの部隊がビルマに入った当時、すでに弱体化していた日本軍の兵力。持たされる武器もなく逃げるしかなかったといいます。
「行きよって飛行機からはやられた。機銃掃射で。それからあるところに留まって野営しているときに爆弾を受けた。ものに隠れたりなんかして分からんようにしとった」
逃げ惑いながらなんとか生き延び、その後、上官からの知らせで終戦そして日本の敗戦を知ることになります。
「終戦時は、あ~助かった、よかったなくらいしか思ってなかった。こんなところまで来て、よく生き残ったなと思いましたよ」
しかし、”これで帰れる”そんな思いとは裏腹に野口さんたちを待ち受けていたのは…。
「戦争に負けたもんだから、イギリスの兵隊やったですもんね、相手が。捕虜にされて、そいつらから使われて、こき使われたですよほんとに、負けたもんだからしょうがないもんでね、向こうが言うことをせにゃいかん、ほんとに情けなかったですよ負けた時はもう…」
結局、日本の輸送船が迎えにきたのは終戦から2年後のこと。野口さんは出征の時と同じく、帰りもまた肥前山口駅から1人で自宅まで歩きました。
「家族は喜んでくれるやろうなと思ったですよ。連絡は何も取れてなかったですからね。父が田んぼのそこの辺りに出ていた。そいでそこまで行って”帰ってきたよ”て。喜んでくれたですよやっぱり。”よく帰ってきてくれた”って言って」
待ち望んだ家族との再会。しかし、野口さんは生き残ったことを手放しでは喜べませんでした。
「やっぱり私は1年遅かったので、こうなったかなと思って。昭和20年4月10日、フィリピンにて戦死とか、昭和19年6月28日ビルマで戦死…」
検査を受け、甲種合格ですぐに徴兵された同級生のほとんどは前線で戦死していました。
「この同級生と一緒に行っていれば、もうやっぱり同級生と同じように亡くなっていると思います…戦争は絶対したらいかんですよ。それだけですねもう、戦争やればみんな殺されたりなんかで、もうよかことはなかですもんね」
終
≪2020年8月10日放送≫
(年齢は放送当時)
江北町の野口正隆さん97歳の体験。熾烈を極めたビルマ戦線から生還した理由の1つは徴兵検査でした。
江北町にある肥前山口駅を歩く男性。
「変わってしまっているからもうあんまり…」
この駅から77年前、戦地へ赴きました。戦後につくられた江北小学校の卒業名簿では男性の同級生の多くは戦死したことが記されています。
「こうして何人も死んだりなんかして、ほんとにねと思うです」
江北町の野口正隆さん97歳。1942年、昭和17年に徴兵検査を受けます。当時の日本では20歳に達した男性は兵隊になるのが義務で、身長や健康状態に問題ない甲種で合格するとすぐに入隊となりました。しかし、野口さんは…。
「甲種合格じゃないから、現役では行けなかった。同級生のほとんどは甲種合格だったから17年に行ったわけですよ。外れて悪かったなと思った。みんなと一緒に行きたかった」
生まれつき体が弱かった野口さんは同級生とは”1年遅れ”、それも補充兵として徴集されます。
「家族は応援してくれたですよ。私もその気で”勝ってくるけんね”って言って、行ったですもんね」
これは、終戦後に野口さんが書いた出征からの記録です。
「野砲兵第26連隊の補充隊として入隊したです」
その後、1944年昭和19年、野口さんたちの部隊が派遣されたのは現在のミャンマー、ビルマです。開戦からまもなく、日本軍は当時イギリスの植民地だったビルマに侵攻し、勢いに乗じて全土を制圧しました。しかし、一旦は退却したイギリスやアメリカなどの連合国軍は態勢を立て直し反撃。日本軍は各方面で敗北し、最終的に連合国軍はビルマのほぼ全土を奪回、日本の戦没者は少なくとも13万人を超えるとされています。
「戦いに行きはしたことあるけど、実際なんも戦闘はしとらんですもんね」
野口さんたちの部隊がビルマに入った当時、すでに弱体化していた日本軍の兵力。持たされる武器もなく逃げるしかなかったといいます。
「行きよって飛行機からはやられた。機銃掃射で。それからあるところに留まって野営しているときに爆弾を受けた。ものに隠れたりなんかして分からんようにしとった」
逃げ惑いながらなんとか生き延び、その後、上官からの知らせで終戦そして日本の敗戦を知ることになります。
「終戦時は、あ~助かった、よかったなくらいしか思ってなかった。こんなところまで来て、よく生き残ったなと思いましたよ」
しかし、”これで帰れる”そんな思いとは裏腹に野口さんたちを待ち受けていたのは…。
「戦争に負けたもんだから、イギリスの兵隊やったですもんね、相手が。捕虜にされて、そいつらから使われて、こき使われたですよほんとに、負けたもんだからしょうがないもんでね、向こうが言うことをせにゃいかん、ほんとに情けなかったですよ負けた時はもう…」
結局、日本の輸送船が迎えにきたのは終戦から2年後のこと。野口さんは出征の時と同じく、帰りもまた肥前山口駅から1人で自宅まで歩きました。
「家族は喜んでくれるやろうなと思ったですよ。連絡は何も取れてなかったですからね。父が田んぼのそこの辺りに出ていた。そいでそこまで行って”帰ってきたよ”て。喜んでくれたですよやっぱり。”よく帰ってきてくれた”って言って」
待ち望んだ家族との再会。しかし、野口さんは生き残ったことを手放しでは喜べませんでした。
「やっぱり私は1年遅かったので、こうなったかなと思って。昭和20年4月10日、フィリピンにて戦死とか、昭和19年6月28日ビルマで戦死…」
検査を受け、甲種合格ですぐに徴兵された同級生のほとんどは前線で戦死していました。
「この同級生と一緒に行っていれば、もうやっぱり同級生と同じように亡くなっていると思います…戦争は絶対したらいかんですよ。それだけですねもう、戦争やればみんな殺されたりなんかで、もうよかことはなかですもんね」
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