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県内の炭鉱閉山から50年 “最後の炭鉱”で働いた男性の記憶【佐賀県】

2023/03/08 (水) 18:17

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県内の炭鉱が全て閉山して今年で50年になります。明治から大正、昭和にかけて主要産業として隆盛を極めた多久の炭鉱は、最盛期の昭和36年には、県内の採掘量の45%を占めていました。8日は県内最後となった多久の炭鉱で働いていた男性の当時の記憶をたどります。

【浦野忠彦さん(85)】
「ここで働いていたから、やっぱり思い出す。当時、エネルギーは日本では石炭くらいしかなかったから、日本のため日本のためと思って頑張っていた」

多久市多久町に住む浦野忠彦さん85歳。
多久市の大手3鉱のひとつ明治佐賀炭鉱、その後、県内最後の炭鉱となった新明治佐賀・西杵炭鉱で働いていました。
この日、浦野さんと一緒に明治佐賀炭鉱の設備が残っている場所へ向かいました。

【浦野忠彦さん(85)】
「ベルトコンベヤーがここにずっと。石炭を運んで来て、ここから国鉄の貨車に落としていた。そして、石炭が余計坑内に入ったときは、向こうの空地に石炭を貯炭していた」

かつてこの場所は、多久駅より引き込み線が伸び、"ホッパー″と呼ばれる石炭を積み込む場所が広がっていました。
当時の設備は15年ほど前まで地元の企業が生コン工場で使用していたといいます。
父も炭鉱で働いていたという浦野さんは小学生のころから多久市で生活しています。父や周囲の勧めもあり明治佐賀炭鉱で働き始めました。

【浦野忠彦さん(85)】
「石炭が多いときは月に3万トンくらい。給料は良かった。母が喜んでニコニコしていた」

一般的に炭鉱の仕事は坑内で石炭を掘る採炭課と、機械の整備や点検などをする施設課に分かれ、浦野さんは施設課で働いていました。

【浦野忠彦さん(85)】
「施設課で図面を描いていた。機械の図面。図面を描くときの鉛筆の研ぎ方から習って、とにかくかわいがられた」

図面の知識など全くなかったものの、日々先輩たちを見て学び「トレース」と呼ばれる図面を転写する業務を担当していたといいます。
また浦野さんはこんな作業も…

【浦野忠彦さん(85)】
「坑内に入って、トロッコを運ぶワイヤーロープの強度を測定したり、機械を点検したり、湧き出る地下水の水量を測ったりしていた」

石炭を掘ることはなかったものの施設課として坑内でも作業をしていたのです。

Q.坑内の様子は?
【浦野忠彦さん(85)】
「キャップランプをつけて、キャップランプの電池を腰に巻いて。恐ろしいとは言ってはいけないけど、緊張していて、安全に安全にと仕事をしていた。坑内で他の人と会うときは"ご安全にご安全に″と声をかけて」

明治佐賀炭鉱は機構再編のため1969年・昭和44年にいったん閉山しましたが、その1カ月後に同じ系統の武雄市北方町の西杵炭鉱と合併し、新明治佐賀・西杵炭鉱として再開しました。そんななか…

【浦野忠彦さん(85)】
「課長から"浦野、救護隊に入らないか?″と言われた」

炭鉱救護隊はガス爆発や落盤など坑内で事故が起こったときに現場へ向かい救護にあたる部隊で危険と隣り合わせの仕事です。

【浦野忠彦さん(85)】
「私が入ったときは私が一番若かった。坑内のベテランばかり、坑内のことなら何でも知っているような人ばかりだった」

浦野さんは年齢が若く機械の整備や点検などをし坑内の状況に詳しかったことから声がかかったといいます。
幸い、浦野さんが勤務しているときには大きな事故は起こらず、出動する機会はありませんでした。その後、エネルギー革命によって主要な燃料が石炭から石油へと転換すると次々と炭鉱が閉山。
1972年・昭和47年11月、県内最後の炭鉱となった新明治佐賀・西杵炭鉱も閉山しました。
江戸時代中期に採掘が始まり、200年以上続いた多久の炭鉱の歴史は幕を下ろしました。

"明治佐賀″という名前は閉山後、半世紀経った今も自治区の名前として残っていて、炭鉱があったことを忘れないよう石碑も建てられています。浦野さんは今もこの"明治佐賀″の地で生活しています。
閉山から半世紀、浦野さんが今思うことは?

【浦野忠彦さん(85)】
「閉山まで働いたこと誇りに思う」
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