佐賀のニュース
子供たちが見た"火の海" アメリカ軍による大規模な爆撃「佐賀・鳥栖空襲」の記憶 【佐賀県】
2023/08/08 (火) 18:40
太平洋戦争の終盤、佐賀市や鳥栖市は大規模な空襲に見舞われました。当時、子供ながらに空襲を体験した人たちは何を感じたのでしょうか。それぞれの空襲の体験者に話を聞きました。
【家永安司さん(91)】
「ドラム缶が上にぶわーっと。そしたら破裂した。何か散る。それが降り掛かってきそうな感じで怖かった」
いまから78年前の昭和20年、1945年8月5日の深夜。佐賀市はアメリカ軍による大規模な爆撃を受けました。“佐賀空襲”です。太平洋戦争の末期、アメリカ軍は日本本土への空襲を本格化させ、軍事、民間に関係なく無差別に爆撃しました。
約30機の爆撃機から投下された焼夷弾は、佐賀市南部を中心に443の家屋を燃やし、死者は61人にのぼりました。
【西村建興さん(83)】
「ちょうど雲がもくもくしているところ、あの辺り。ちょうど一番高い雲の辺り」
佐賀市北川副町に住む西村建興さん83歳。当時6歳だった西村さんは、自宅のそばにあった防空壕に家族で避難しました。
【西村建興さん(83)】
「焼夷弾が落ちてくるのが、飛行機から落としたら燃えてきているから、見ていたら花火のように見えた」
投下された焼夷弾は、日本の家屋を燃やしつくすために造られた専用の爆弾です。今の北川副小学校やその周辺に落とされました。また、民間人を狙った戦闘機による機銃掃射もありました。
【西村建興さん(83)】
「ここにみんなが隠れている。機銃掃射でバラバラと連発銃を撃っていったのを覚えている」
この空襲で当時の北川副村では21人が死亡するなど、佐賀空襲の中でも特に大きな被害を受けました。
翌年、通う予定だった小学校の校舎が焼け落ちたことは今も心に深く残っています。
【西村建興さん(83)】
「入学したら公民館が教室になって勉強した。2年生の3学期から学校に入ることができたと思う。その時はうれしかった。学校に来たということでうれしかった」
【家永安司さん(91)】
「在郷軍人や消防団の人たちが「逃げろ」、つまり避難しろということで、西の方の嘉瀬川の堤防。東が赤くなっているから西に逃げろと」
佐賀市嘉瀬町に住む家永安司さん91歳。家永さんは当時13歳、空襲で赤く染まった北川副村の空から逃げるように家族と川辺へ避難しました。
【家永安司さん(91)】
「急に爆音がした。焼夷弾というやつ。それが落ちたらいっぺんに久保田町の久富の部落がいっぺんに燃え上がった」
辺り一面は火の海となり、家永さんが避難した川辺の先にあった久富地区では63戸が焼け、3人が死亡しました。
【家永安司さん91歳】
「照明弾を落とした時に見えた飛行士が眼鏡を掛けた姿を見た時はやっぱり怖かった。やるんじゃなくて、やられるかだけだったから」
佐賀空襲から6日後、アメリカ軍が次の標的として選んだのは鳥栖市でした。鳥栖空襲があったのは終戦の4日前の8月11日午前10時半ごろ。
約80機の爆撃機が飛来し、交通の要衝だった鳥栖駅周辺を中心に爆撃。3度の波状攻撃で市民など119人が命を落としました。
【牛島啓爾さん(86)】
「落雷のような音と地響きと土砂が近くの柿の木に当たる音がした」
鳥栖市養父町の牛島啓爾さん86歳。当時9歳だった牛島さんは、戦争の記憶や聞いた話を絵手紙にまとめました。
【牛島啓爾さん(86)】
「昔の屋根だからわら屋根が多い。だから燃えやすい。それから爆弾は雨のように降るとかよく言うので、実際見ていないけど、頭に想像しながら書いた」
生後5カ月の弟を抱え、田んぼで作業をしていた母親の元に着くや否や、空襲警報が鳴り響き、親子で溝に身を潜めました。
【牛島啓爾さん(86)】
「弟はわーわー泣くし、母も慌てていましたが、(母が)「ここで母子3人死んでも、もう仕方がないね」と言ったことをはっきり覚えている」
【牛島啓爾さん(86)】
「ただぶるぶる震えて、母が覆いかぶさっている。それだけが精一杯で怖かったのは当たり前だから、どんな気持ちだったかは言葉にならない」
気づくと隠れていた溝から200メートルほど離れた場所に爆弾が落ちていました。
【牛島啓爾さん(86)】
「20メートルもなかったような気がする。10メートルくらいで。深さも測ったわけじゃないけど、2メートルくらいじゃないかなと思う」
戦後撮影された航空写真には、その爆撃の痕が黒い丸のように写っています。
そこには雨水が溜まったことから「爆弾池」と呼ばれ、痛ましい空襲の爪跡として、1960年ごろまで残っていました。
牛島さんは、鳥栖でも空襲があったという歴史を語り継ごうと描いた絵手紙は19通になりました。
【牛島啓爾さん(86)】
「私が元気なうちに皆さんに伝えるのが意味のあることだと思うようになった。特に今ロシアがウクライナを攻めて、戦争が割と身近にある。「戦争はいけない」は誰でも言える。ところが、戦争になる可能性は絶対にないとは言えないと思う」
【家永安司さん(91)】
「ドラム缶が上にぶわーっと。そしたら破裂した。何か散る。それが降り掛かってきそうな感じで怖かった」
いまから78年前の昭和20年、1945年8月5日の深夜。佐賀市はアメリカ軍による大規模な爆撃を受けました。“佐賀空襲”です。太平洋戦争の末期、アメリカ軍は日本本土への空襲を本格化させ、軍事、民間に関係なく無差別に爆撃しました。
約30機の爆撃機から投下された焼夷弾は、佐賀市南部を中心に443の家屋を燃やし、死者は61人にのぼりました。
【西村建興さん(83)】
「ちょうど雲がもくもくしているところ、あの辺り。ちょうど一番高い雲の辺り」
佐賀市北川副町に住む西村建興さん83歳。当時6歳だった西村さんは、自宅のそばにあった防空壕に家族で避難しました。
【西村建興さん(83)】
「焼夷弾が落ちてくるのが、飛行機から落としたら燃えてきているから、見ていたら花火のように見えた」
投下された焼夷弾は、日本の家屋を燃やしつくすために造られた専用の爆弾です。今の北川副小学校やその周辺に落とされました。また、民間人を狙った戦闘機による機銃掃射もありました。
【西村建興さん(83)】
「ここにみんなが隠れている。機銃掃射でバラバラと連発銃を撃っていったのを覚えている」
この空襲で当時の北川副村では21人が死亡するなど、佐賀空襲の中でも特に大きな被害を受けました。
翌年、通う予定だった小学校の校舎が焼け落ちたことは今も心に深く残っています。
【西村建興さん(83)】
「入学したら公民館が教室になって勉強した。2年生の3学期から学校に入ることができたと思う。その時はうれしかった。学校に来たということでうれしかった」
【家永安司さん(91)】
「在郷軍人や消防団の人たちが「逃げろ」、つまり避難しろということで、西の方の嘉瀬川の堤防。東が赤くなっているから西に逃げろと」
佐賀市嘉瀬町に住む家永安司さん91歳。家永さんは当時13歳、空襲で赤く染まった北川副村の空から逃げるように家族と川辺へ避難しました。
【家永安司さん(91)】
「急に爆音がした。焼夷弾というやつ。それが落ちたらいっぺんに久保田町の久富の部落がいっぺんに燃え上がった」
辺り一面は火の海となり、家永さんが避難した川辺の先にあった久富地区では63戸が焼け、3人が死亡しました。
【家永安司さん91歳】
「照明弾を落とした時に見えた飛行士が眼鏡を掛けた姿を見た時はやっぱり怖かった。やるんじゃなくて、やられるかだけだったから」
佐賀空襲から6日後、アメリカ軍が次の標的として選んだのは鳥栖市でした。鳥栖空襲があったのは終戦の4日前の8月11日午前10時半ごろ。
約80機の爆撃機が飛来し、交通の要衝だった鳥栖駅周辺を中心に爆撃。3度の波状攻撃で市民など119人が命を落としました。
【牛島啓爾さん(86)】
「落雷のような音と地響きと土砂が近くの柿の木に当たる音がした」
鳥栖市養父町の牛島啓爾さん86歳。当時9歳だった牛島さんは、戦争の記憶や聞いた話を絵手紙にまとめました。
【牛島啓爾さん(86)】
「昔の屋根だからわら屋根が多い。だから燃えやすい。それから爆弾は雨のように降るとかよく言うので、実際見ていないけど、頭に想像しながら書いた」
生後5カ月の弟を抱え、田んぼで作業をしていた母親の元に着くや否や、空襲警報が鳴り響き、親子で溝に身を潜めました。
【牛島啓爾さん(86)】
「弟はわーわー泣くし、母も慌てていましたが、(母が)「ここで母子3人死んでも、もう仕方がないね」と言ったことをはっきり覚えている」
【牛島啓爾さん(86)】
「ただぶるぶる震えて、母が覆いかぶさっている。それだけが精一杯で怖かったのは当たり前だから、どんな気持ちだったかは言葉にならない」
気づくと隠れていた溝から200メートルほど離れた場所に爆弾が落ちていました。
【牛島啓爾さん(86)】
「20メートルもなかったような気がする。10メートルくらいで。深さも測ったわけじゃないけど、2メートルくらいじゃないかなと思う」
戦後撮影された航空写真には、その爆撃の痕が黒い丸のように写っています。
そこには雨水が溜まったことから「爆弾池」と呼ばれ、痛ましい空襲の爪跡として、1960年ごろまで残っていました。
牛島さんは、鳥栖でも空襲があったという歴史を語り継ごうと描いた絵手紙は19通になりました。
【牛島啓爾さん(86)】
「私が元気なうちに皆さんに伝えるのが意味のあることだと思うようになった。特に今ロシアがウクライナを攻めて、戦争が割と身近にある。「戦争はいけない」は誰でも言える。ところが、戦争になる可能性は絶対にないとは言えないと思う」
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